テッサ·モーリス=スズキさん

棚を整理していたら2015年12月15日の朝日新聞文化・文芸欄の切り抜きが出てきた。
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戦後生まれの戦争責任は

豪の歴史学者テッサ·モーリス=スズキさんに聞く
罪はないが「事後の共犯」的関係

戦後生まれの人々にも、戦争に関する責任や謝罪の義務はあるのだろうか。
戦後70年の節目に、こんな問いが浮上している。
戦争責任の考察で知られる歴史学者テッサ·モーリス=スズキさん(オーストラリア国立大学教授)に、来日を機に聞いた。

あの戦争に関わりのない世代の子たちに「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならないー。
今年8月、戦後70年関の談話で安倍晋三首相はそう訴えた。
本社の世論調査では、その主張に「共感する」 との回答が63 %で、「共感しない」の21%を上回った。

モーリス=スズキさんは英国出身。1980年代にオーストラリアに移住した。
直面したのは英国が18世紀以降に同地を植民地化した歴史だ。
先住民アボリジニーから土地を奪い、虐殺もあった。

自分には罪や責任があるかとモーリス=スズキさんは自問し「罪はないがインプリケーションはある。」との結論に達した。
インプリケーションは新たな概念で「連塁」と邦訳した。
「直接関与していないにもかかわらず『自分には関係ない』とは言えない。
そんな過去との関係を示した概念です」と話す。


連塁とは「事後の共犯」的な関係だという。
たとえば、収奪行為には関与しなかったが、収奪されたものに由来する恩恵を「現在」得ているケースだ。「私自身も今、奪われた土地の中に住む一人です。」虐殺に関与しなくともその歴史を隠蔽したり風化させたりする動きに関与すれば責任が生じうると見る。

「アボリジニーは差別や不平等に直面させられているがそのことと収奪や虐殺の歴史にはつながりがある。過去の不正義を支えた『差別や排除の構造』が今も生き続けているということです。そこから生まれる『責任』にこそ目を向けていくべきでしょう。不正義を支えた構造は、私たちが是正に動き出さない限り、社会の中で再生産されつづけるからです」

同じことは日本にも当てはまる、とも語った。

「戦時の慰安婦制度の背景には性差別や民族差別がありました。河野談話を否定しようとする人々の言動を見ると、差別が日本社会に生き続けていることがわかります」

では、慰安婦制度や南京での虐殺について、戦後生まれの日本国民も「謝罪」をすべきなのだろうか。

「歴史事件そのものに対して戦後生まれの個人が謝罪する必要は原則ないと思う。ただし国家は連続性のある存在であり、謝罪するべきです。また国民は謝罪するよう政府に求める義務があります」

だがいま、日本が謝罪や償いを十分にしてきたと思う人は少なくない。
今春春の世論調査では57%に上っていた。
「効果的な謝罪を政府がしてきたかどうか、は考えてみるべきでしょう。『何十回もたばこをやめた』と言う人は禁煙できている人なのか・・・。謝罪は今の社会に残っている『過去の暴力の構造』との闘いでもあるのです。」

戦争の「責任」について考えることが未来への建設的な作業につながるような道筋をどうつくるか。「連塁」は一つの示唆であると思えた。
(編集委員・塩倉裕)

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テッサさんの本を検索していたらこんなデザインが! アイヌ文様だよ。こっちはとても難解そう。

日本研究家として少数民族アイヌの本もだしていたんだ。
出版社は「白難解」(赤瀬川源平)ことみすず書房ってのもいい。
即Amazon。そして積読はまた増えていく。
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by kzmblog | 2019-01-12 06:06 | 想い | Comments(0)
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